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DJ FLOURISH presents UStimes Mixtape #106 Hit List
DJ FLOURISH presents UStimes Mixtape #106 Hit List
2011年9月30日
USTIMES 期間限定 1万2千円キャッシュバック中!! DJ FLOURISH MIX CD, MIXTAPE Download now: UStimes Mixtape #105 Hit List Tweet Track list: 1. Gucci Mane ft Slim Dunkin and Rocko - Fresh As Fuck 2. Gucci Mane and Waka Flocka Flame - Young Nigga 3. Jadakiss -...
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UStimesとは?

UStimes.JPはDJ FLOURISH (フローリッシュ)がみんなの楽しめそうな最新ニュース(情報動画写真など)をUSを中心に直輸入してるサイトです。セレブセクシー、スポーツミュージックを中心に面白いこといっぱい集めてるので毎日楽しんでください!
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DJ FLOURISH O.T.C. a.k.a. FLOURISH ON THE CHAINSAW プロフィール

1995年六本木JUNGLE BASSにてDJ活動をスタートする。すぐに当時最もホットなクラブCAVEでレジデントDJ MIZUHOのもと、HIP HOP PARTYを担当する。その後、毎週金曜日にMAKI THE MAGIC & DJ TAIKIによるビックイベントFISHのオープニングDJとして、知名度を上げていく。
同年、日本の元祖ヒップホップレーベルのひとつVORTEX主催のVORTEXナイトでもレギュラーDJとしてパーティを盛り上げる。さらには日本最大規模のビッグパーティ「さびしんぼナイト」でも1995年、1996年とDJをする。その間、FLOURISH独自のコネクションにより、自らオーガナイズしたパーティ「HEAD LINER」を毎月第4日曜日に開催。日曜の夜にもかかわらず(当時クラブ人口も少なかったので、集客も少なかった。)、毎回200人以上の集客を誇った。当時最も勢いのあったSHAKA ZOMBIE (現在はBIG O, IGNISHON MANとしての方が有名?)、DS-455らもゲストとして参加。
1997年には、渋谷のクラブHARLEMオープンから、同年7月渡米するまでDJも勤めた。

1997年夏からFLOURISHは単身NYに渡り、活動の場をNYへと移す。
NYでは、現地の有名CLUB(SPEED,CLUB205,SHAMPOO,40FLAVOR,NV,2IS etc)でDJ HIRO、DJ KAORIらと共にレギュラーDJとして活動し始め徐々に知名度を広めていく。その一方 自身の作品(MIX CD)を定期的にリリースし続けた結果、人気に火がつき海賊版がNYのStreetで出回る程になる。FLOURISHのストリートにおける知名度をぐっとひきあげたMIX CDが、「MEMORY OF AALIYAH… 」これは、AALIYAHの事故の翌日、FLOURISHのAALIYAHに対する追悼の意味をこめて即日ミックスしたMIX CDで、アメリカでも1番最初にリリースされたAALIYAHのMIX CDで、クオリティの高さから、NYのストリートはもちろん、VIOLATOR, ROCA FELLA RECORDS, INTERSCOPE、MURDER INC. (現在 THE INC.)といった大手レコードレーベル内でも高い評価を受ける。その後、同タイトルのMIX TAPE「MEMORY OF AALIYAH」を渋谷のMANHATTANレコードで限定発売したところ、即日完売。このMIX TAPEを皮切りにFLOURISHのMIX TAPEはNYの最新のホットミュージックが体験できるという噂がひろまり、日本のMIX TAPEシーンに逆輸入される。MEMORY OF AALIYAHをリリースした直後にリリースしたMIX TAPE 「What Woman Want」シリーズは計3タイトルリリースしたが、すべて1000本限定リリースしたところ、すべて即日完売。ネットオークションでも当時相当の高値で取引されるほどの人気っぷり。その後満を持してNYでFLOURISHがストリートをロックしていたMIX CDシリーズ 「NYC MIX TAPE」を日本に送り込む。これが実質日本で最初のMIX CDとよべる。当時日本の文化ではMIX CDという概念がなかったのに対し、本国アメリカでは、当の昔にMIX TAPEといったら、MIX CDが当たり前になっていた。日本国内でも車社会である地方ではCDにしてほしいという需要があるにもかかわらず、日本のDJ達は、ある種日本の伝統ともいえるMIX TAPEを作り続けた。
FLOURISH自身も日本のレコード屋の主張を受け入れ、アメリカ用にMIX CD「NYC MIX TAPE」を、日本用にMIX TAPE「WHAT WOMAN WANT」といったスタンスで音源を提供していた。そんな中、DJ FLOURISHは、エンドユーザーの日本でもMIX CDをリリースしてほしいというリクエストに答えるため、都内のいくつものレコード屋、洋服屋の反対を押し切ってFLOURISHは、CD形式のNYC MIX TAPEをリリース。とりあえず、テストだからといって用意した300枚のMIX CDは渋谷のMANHATTANレコード1店舗においてたった1日で完売する。それをみていたほかのDJ達はこぞってFLOURISHからMIX CDに関する情報を得ようとコンタクトしてきた。それによって今のMIX CDシーンが日本に確立されたといえる。FLOURISH O.T.C. は正真正銘ORIGINAL JAPANESE MIX TAPE KINGであることを証明する。

2002年4月に帰国してからは自身のレーベルBASEMENT BOOTHのPARTY「BASEMENT BOOTH」を渋谷NUTSで毎週火曜日DJ HAZIME, DJ DENKA, ASIAN STAR, YAKKO FOR AQUARIOUS, HASSY THE WANTED, DJ TOSHIKI DA HARDBOP を加えスタート。HOSTとして、BIG-Z、さらにDABO, SUIKEN, P.H. MARS MANNIE, LUNCH TIME SPEAX, CRYSTAL CREWのライブもとりいれた。さらにFLOURISHは、当時若手としてまだ名前もないC.T. B.D. THE BROBUS, VYKN, DJ KOMBOI, TEE $HU, STANGANらを最初にフックアップした一人といえる。 
そのうちの何人かはいまでは、知ってる人は知ってる存在へと成長をとげている。
このように新人の才能を見抜く能力もFLOURISHのずばぬけた才能のひとつといえる。それのいい例が現在VIVIのトップモデルとして大活躍中の渡辺知夏子。当時まだBLENDAのモデルをスタートしたばかりで、それほど有名でもなかった高校生の渡辺知夏子を雑誌WARP MAGAZINE内B.B TIMESの人気コーナーB.B. GIRLSの最初のB.B. GIRLとして起用。多くのHIP HOPファンからあの女の子は誰だ?と多くの問い合わせをうけた。今では説明の必要もないくらいBIGなモデルへと成長をとげた。

青山のTHE ORBIENTで毎週日曜日MDPが主催した人気パーティ「PLAYER’S BALL」では、DJ WATARAIと第2日曜の同パーティをもりあげた。FLOURISHはそのパーティ内でHIGH-Dのリリースパーティーを行うなど 幅広い交友関係をみせる。そのようにして、日本での地盤作りに全力を注ぎ、あっという間に日本のHIPHOP業界で注目の的となる。その間FLOURISHは渋谷のQUATROでSUIKENのソロライブをDICE GAME PT.1としてプロモート。ゲストにはDABO, BIG-Z, PHらも参加。平日の夕方にもかかわらず900人を動員。その後もDICE GAME PT.2として、今度は当時のパートナーBIG-Zのソロライブをプロモート。PART.3はDABO & PHの「スピーカーにTバック」をタイトルにした、イベントを普段クラブに遊びにいけない18歳以下のリスナーのためにと、当時では異例の昼、夜、2部構成の真夏の夜のビッグパーティを敢行!さらには同タイトルのMIX CDまでリリースと常にストリートに密着なスタイルはまさにHIP HOPのリアリティーそのものといえる。FLOURISHは、P.H. BIG-Z, SUIKEN, DABOのビッグネームを巻き込んだPARTY「BASEMENT BOOTH」を日本のいたるところで、開催!全国各地を大いに盛り上げた。その際、自身のパーティDJだけではなく、BIG Z, DABO, SUIKEN, P.H.のライブDJも兼ねるというオールラウンドぶりを発揮!FLOURISHの魅力はそのDJスタイルにも現れている。NY仕込みのマイクパフォーマンスで、完全に客をロック!FLOURISHがDJすれば、どんなパーティも必ず盛り上がるという信頼を確立する。その後日本のトップラッパーDABOのLIVE DJとして全国TOURに参加するなど数々のLIVE DJをもかんしている。HIT MAN JAPANツアーでは、FLOURISHはDJ HAZIMEとの2DJでツアーをまわった。ツアー当初は、ライブDJとしてツアーの半分だけをまわる予定だったが、FLOURISHのマイクパフォーマンスが気にいったDABOは残りの半分もFLOURISHをラッパーとして起用。本来性格的にDJというより、ラッパー向きだったため、すぐにアジャスト!日本中をDABOとともに駆け回った。

FLOURISHが影響力をもっていたのは、音楽シーンだけでなく、ファッションシーンでも常にファッションリーダーとして時代をリードしてきた。WARP MAGAZINE、WOOFIN、カスタムローライディングをはじめ数多くのファッション誌でモデルを務める。NY在住時は買い付けにくる日本の洋服屋はFLOURISHのファッションをみて、商品の買い付け構成を決めていたほど。常に見える、見えないにかかわらず、シーンをリードしてきた正真正銘のファッションリーダーである。

その他の活動では 毎年東京ドームで行われているスノーボードのワールドクラスの大会『X-TRAIL JAM』でメインDJとして2002年-2007年と6年連続プレイし、現在までに東京ドームで12回もDJをしている。その中で世界のトップスノーボーダーたちも毎回FLOURISHのDJプレイを楽しんでいることもあり、世界中のスノーボーダーからの信頼も高い。世界中をとびまわっているトップスノーボーダーのもっともお気に入りのDJのひとりとしてあげられるほどの存在である。個人的には長野オリンピックの金メダリスト、ジャン・シメン、トラビス・ライス、ヘイケ・ソーサさらにはGOD OF SNOW BORDINGテリエ・ハーコーセンとも交流がある。

話はMIXCDにもどるが、NYC MIX TAPEシリーズの日本発売を機にMIX TAPEシーンで人気を博していきその後、自身のMIX CDタイトルを『WOTC:CM44.8』(これは日本にはNYの#1HIP HOPラジオHOT 97のようなラジオ局をつくりたいという気持ちから架空のラジオ局というコンセプトのもとスタートしたMIX CD)は全国で順調にセールスを伸ばし、カリスマショップを中心に日本全国で話題になり、日本での地位を確率した。決定打となったのはB.B. GIRL 渡辺千夏子をカバーにした「MAJOR LEAGUE HIP HOP」これはFLOURISHが日本をツアーでまわった際に自らの目で本物だと見抜いたJAPANESE RAPPERの新曲、エクスクルーシブ音源のみのスペシャルミックス。あっというまに限定の2000枚をうりつくした。ちなみに知らない人も多いと思うのでもう1度いいますが、当時MIX TAPEが主流だった日本のHIP HOPシーンをMIX CD文化に変えたのはまぎれもなくFLOURISH O.T.C.である。ようするに日本ではじめてMIX CDをつくったのがFLOURISHです。「これはHIP HOPの歴史を語る際しっかりと記載しとくべきだ!」とは本人談。

2003年クラブチッタで行われたMIGHTY CROWN主催のダンス「FIRE MEETS NITRO」ではHIP HOP DJでありながら、BROOKLYN仕込みのREGGAEでSAMI-Tにチャレンジし、会場のレゲエファンをSAMI-Tに負けず劣らずしっかりとロックした。それには兄のSAIMONも「FLOURISHは実はMIGHTY CROWNの第3番目の兄弟だ」と発言するほど、、、(本当は顔が微妙に似ているから)FLOURISHがレゲエで会場をロックする姿にはNITROのメンバーもびっくり。この辺が型におさまりきれないFLOURISHの器を表現するのにはぴったりのエピソードといえる。

また2005年(六本木ヒルズオープンの年)には、ヒルズ内にあるアカデミー公認シェフの店WOLF GANG PACKで毎週金曜日開催された人気パーティ「MORNIG AFTER」でもメインDJをつとめた。同年12/17には、人気ファッション誌 “GRITTER” 主催の X’MAS PARTYメインDJとしてもレッドカーペットをひきつめた六本木ヒルズを大盛況させた。このパーティは当時「セレブ」という言葉が認知されはじめたばかりの六本木ヒルズにレッドカーペットを敷き会場にはセレブな衣装につつまれた多くの女性が殺到!会場にはあまりに多くの女性が訪れた為、店内に入りきれず朝3時までその行列がとだえなかった、、、

FLOURISHは三沢基地をはじめとするベース内のアメリカ人からの信頼も厚く 数々のベースのPARTYにも参加している。

その他WARP MAGAZINE JAPANでも独自のページ『THE BASEMENTBOOTH TIMES』を連載。その中のB.B. GIRLSのコーナーには、当時まだ高校生でBLENDAのモデルだった渡辺知夏子(現在彼女は「VIVI」でトップモデルをつとめている。)も登場! FLOURISHはただのDJでなくてエンターテイナーである。聴覚だけでなく視覚的な刺激もSTREETに提供したり、数々のストリートファッション誌のモデルとしても活躍。

2005年以降は活動の矛先を再びアメリカに向け、今後のミュージックシーンをより発展させるため、自身のパワーアップに着手。

2006年はNY出身のアメリカ人ダンサーVIRGとともに活動、2007年にはBLACK EYED PEAS, CHRISTINA AGUILERAのツアーダンサーとして世界をまたにかけてきたPHOENIXと出会い、BB STREET DANCE FOUNDATIONをたちあげ、日本のダンスシーンにアメリカのリアルなスパイスをふりかける。それまではラッパー、DJとの活動が多く、どうしてもHIP HOPのもうひとつのエレメント“DANCE“を利用しきれてなかったが、同年BB-PROMOTIONのメンバーにアメリカ人プロダンサーPHOENIX加わえた影響で”トリプルスレット“ (DJ, RAP, DANCE)の活躍をはじめる。

2008年にはウェブマガジンUSTIMES.JPをスタート。USTIMES.JPを使って海外の動画、音楽、セレブ、スポーツ、ファッション、車のニュースを直輸入!このサイトは、スタートから半年で月間50万クリック以上を達成。もうすぐ月間100万クリック達成!

2008年夏のB-BOYパークでは元ZOOのリーダーCAPと出会い、意気投合!CAPのホストする渋谷FMの”Shiburai”にも何度もゲストDJとして起用されるようになる。
時期を同じくしてフランス人のプロダンサー Z-2N’ (ジーツーン)をBB-PROMOのメンバーに加える。BB-PROMO.COMを使ったストリートプロモーションでその他多くの新人アーティストに活動の機会を与えた。

Z-2N’は現在フランスに戻りBB FRANCEとしてフランスでBB-PROMOTIONを盛り上げている。
Z-2N’の活動はBB-PROMO.COMでもレポートされている。

2009年はすべてのプロジェクトをよりスピーディーにパワフルに発展させるため、拠点を千葉に構える合同会社スピリットに自身のマネージメントを任せ、さらなる飛躍をしている。